愛情ってのは無償で注ぐものだったはずなのに、それを自分への評価へ転嫁するのは怖いって話


うちには猫が2匹いる、猫に私が愛情を注ぐのはあたりまえのことで

その愛情を「他のこと」へ転嫁してしまったとしたら「危険なこと」ではないか?という話です。

お母さんが育児放棄して子供を餓死させた事件

大阪2児餓死事件

気分が悪くなる人が続出してしまうかもしれないので、事件のことは多く書かずにおきます。

「若いお母さんが遊んでるうちに子供が餓死した事件」です。

私としてはこのお母さんが

育児放棄して「早く死ねばいいのに」と思いながら「子供大好き」って感じの投稿をSNSへ投稿しまくってたらしい、そこが怖い。

子供への愛情って無償の物じゃなかったのか?

無償だから子供に注いでお終いでしょう、自分に返ってくることも無い「それが母親ってもんじゃないのか?」と思うのですが

 

 

世間に露出すれば、世間は評価してくれます

SNSに投稿することで「優しいお母さんだね」「若いのに偉いね」とか反響があるのが嬉しかったのではないかと思います(この辺は私の推測でしか無いので事実では無いかもしれません)

子供が餓死してるまさにその時にもSNSへ投稿をしていた可能性があると当時のワイドショーでは報道していました。

SNSへの投稿は、”知ったばかりの男の部屋から”なんてこともあったらしくて2重で怖いんですよね。

「子供を殺そうとしてる女が、子供大好きって投稿をしている」

「子供を殺そうとしてる女を何も知らずに泊めてる男がいる」

愛情を注ぐことが評価されるようになって、その評価が快感になっちゃ怖いよね

だからSNSへ「頑張ってる自分」「幸せな自分」「評価すべき自分」を投稿するのは怖い事だと思う。

代理ミュンヒハウゼン症候群にちょっと似てる。

”病気の子供を看病している自分を褒めてもらえるのが嬉しいから子供に病気で居続けてもらわないと困る”って奴ね。

私の場合は愛情を注げるのは猫しか居ないんだけど

「猫可愛がってえらいですね」「猫幸せそうですね」なんて言われて快感に酔いだしたら

猫には死んでも幸せになってもらわないといけなくなって

例えば本当は病気で死んでるのに、まだ生きてることにして「優しく猫と遊ぶ自分」なんかを演じようとするのかもしれない。

だから愛情は注いで終わりにして、愛情を注いでることを評価されてそれが嬉しかったとしても「その感情は余計な感情だ」と思うべきなんだよね。

私の場合は猫が喜んで終わりにするべきだし、もし違う快感を感じてしまったら

誰にも評価されないように、猫を隠してしまうのがいいと思う。

あまり隠しすぎたら「コイツ猫虐待でもしてるんじゃないか?」とか疑われそうだけど、

でも愛情は「違う何か」に変えてしまったら裏切りだし、違う物に変わってしまった愛情は「愛情だった」とも呼べなくなってると思う。

 


COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
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  1. By Ran Ran

    人間、どこかで「情けは人のためならず」を期待しているのかもしれませんね。無償の愛ほど難しいものはないのかな?

    しかし、深いな。今日の記事は深い。

    いろいろと考えますよね~。

    • By 梅木 官兵衛

      RanRanさんコメントありがとうございます。
      ブログ書いてたらついつい「他人の期待」に応えたくなりますので、
      猫にカメラを向けた時にそっぽを向かれると「BLOGの写真を今撮りたいんだよ!」って気持ちになって、自分が何をやってるのかわけがわからなくなることがありますよね(笑)
      猫などのペットの気持ちを優先したいし、するべきですよね(とか考えながら記事を書きました)

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